MUSIC IS MAGIC!

V6とKinKi Kidsを愛でるジャニヲタ。主に彼らの音楽や、演出や照明についてのおはなしをします。「79年組尊い」が口癖。

「プラトニック」第3話・娘の初恋についての考察2

前回プラトニック第3話についての感想を書きましたが(「プラトニック」第3話・娘の初恋についての考察 - nagico_72's diary)、第4話放送の時間までにまとまらなかったので、また今回も第3話について書きたいと思います。(と言ってもまたしてもギリギリ)(学習能力ゼロ)

 

最愛の娘である沙莉ちゃんの初恋。今まで14年間大切に大切に守ってきた娘が自分の元から離れていく感覚に襲われて、沙良は娘とは連絡を取らないようにりょうくんへ告げるわけですが、正直見ていて怖くなりました。せっかくお友だちが出来たのに、それを奪ってしまった…。過保護、というのか、子離れ出来ていない、というのか。沙良と沙莉ちゃんとの間には、普通の親子とはまた違う強い関係が築かれていると思いますが、ちょっと行き過ぎていて怖かったです。ママがいてくれればそれでいい、というニュアンスのことを沙莉ちゃんも口にしていますが、沙莉ちゃんの言うそれと、沙良の言うそれは温度差があるように感じました。

 

何より印象に残っているのは、最後の青年と沙良の病室でのシーンです。このシーンの前に、沙良と和久、沙莉ちゃんの病室での場面で、沙良がりょうくんに連絡を取らないように言ったことが沙莉ちゃんに知れたとき、沙良は「期待して、裏切られて、辛い目に遭う」「思いは募っていくものだから」という台詞を言っていました。そして最後のふたりの病室のシーン。ここでも「時間が経って、思いが募っていたら…」と、また同じことを繰り返していました。沙莉ちゃんの思いが募ることで、幸せな気持ちを抱く反面、だんだんと辛く苦しい気持ちにもなり得る、と言い表しているはずですが、わたしには沙良が沙良自身に言い聞かせているように聞こえました。いずれ辛く悲しい運命が待ち受けていることがわかっているけれど、青年に対する思いが知らず知らずのうちに募っていく…。「期待して辛い目に遭う」ことはわかっている。けれど、その気持ちに反して募る青年への思い。娘の初恋を通して、自分の気持ちにも気づき始めているのか、どうなのか…。

 

 

沙良が娘のためを思って、と行動したことに対して、青年は自分の感情を露わにして話します。後にも先にも、このとき限りで。

悲しい現実を思い出して胸が締め付けられるようにきゅんとする。これから思い返して泣いてしまう夜もあるかもしれない。センチメンタルな夜です。それでも、何もない夜よりはるかに素敵な夜だからです。それが命の危険に 自分だけの大切な夜です。あなたはそれを奪ってしまった。

 たくさん悩んでいろいろなものに押しつぶされそうになりながらも、今の「自分」を見つけてきた彼の経験からこの言葉たちが語られたと思うと、すごく心に響きます。感慨深い。現実を知ることは、決していいことばかりではない。でも知ることで自分自身に納得がいくこともある。ほっとすることもある。

誰だっていずれ死ぬんだ。

いいですか、「生きること」と「ただ生きていること」は違うんです。まるで違う。

 予告で聞いたときからすごく衝撃を受けました。その前の第2話で、「わたしは死ぬのですよ?」と同じようなニュアンスのことをさらっと口にしたかと思えば。さらっと言われるのも、今回のように感情的に言われるのも、やっぱりなんとも言えない気持ちになります。「生きること」と「ただ生きていること」。この語感から、高校時代の倫理の時間に勉強した、ソクラテスの「よく生きること」という言葉を思い出しました。正確には「よく生きる」という言葉を思い出しただけで、当時使っていた参考書を引っ張り出して誰が言ったことなのか確認しました。まさか倫理の参考書を読みたいと思う日が来るとは…教科書はいの一番に捨てたので手元にありませんが、教科書の文章のほうがわかりやすい説明だった気がするのでとても惜しいです。

 

参考書によると、ソクラテスは「ただ生きることではなくて、よく生きること」を求めた人物で、ここで言う「よく生きること」とは、

善や美などについてよく吟味し、それらの本質的な知に基づいて、人間としての徳(アレテー)を発揮して生きること 

 とありました。あれ、勉強したはずなんだけどな…。この人たちは何を言っているんだ…?感が拭いきれなかったわたしは苦手としていた科目なので、当時の自分に2年後また知りたくなるときが来るよ!と教えて奮起させたかったですね(遠い目)

青年が言う「生きること」と「よく生きること」は果たしてイコールなの…でしょうか。理解力不足でよくわかりません。でも少なからず関係している気がします。

 

もうひとつ、というか倫理に絡めた話をすると、「カタルシス」について、です。「カタルシス」なんて単語、聞いたことがなかったので調べてみました。

文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。特に悲劇のもたらす効果としてアリストテレスが説いた。浄化。 

 とありました。何たる偶然。またしても思想家の名前が出てきました。アリストテレス。この人について少し調べてみると、プラトンの弟子、というキーワードに出会いました。プラトン。このドラマのタイトルである「プラトニック」に無関係なはずがない。と思いまた検索の幅を広げると、プラトニックというのはプラトン的という意味があると出ました。なんのこっちゃ感は否めませんが、とにかく何かしらの関係があることは掴めました。ここまで3人の思想家を挙げましたが、関係性はソクラテスの弟子がプラトンプラトンの弟子がアリストテレス、ということらしいです。

ソクラテスプラトンアリストテレス の順。

よく生きる→プラトニック→カタルシス(なんのこっちゃ)

野島先生は倫理がお得意だったのですかねえ…。あれだけ苦手だったのに今また勉強したくなってきています。この点についてはもう少し掘り下げてまた改めて考えたいと思います。

 

 

本編の最後のシーン。沙良のナレーションです。

後にも先にも、彼がこれほど声を荒げ起こった姿を見たことがありませんでした。

そしてわたしは時々忘れてしまう。目の前の彼が、もしかしたら明日にも倒れてしまう身体だということを。

なぜなら彼は、それでもまだ信じているようだったから。求めているようだったから。

本当の愛を。

 姿を見たことがありません「でした」。過去形は過去にあったことを話すときに使う文法、ということは、今はもう彼は存在していない、ということ表しています、よね。やっぱりどこか「そのとき」が来ることが信じられずにいます。

 

 

引用の仕組みを最近知ったのでたくさん使ってみましたが読みづらいですかね、どうですかね。まだ第4話観てないから今日中に書けるかどうか…。ドラマも折り返しに入りましたね。これからどんな展開になっていくのかな。