MUSIC IS MAGIC!

V6とKinKi Kidsを愛でるジャニヲタ。主に彼らの音楽や、演出や照明についてのおはなしをします。「79年組尊い」が口癖。

「プラトニック」第4話・いつかの少女ついての考察

忘れたころに第4話更新です。どんどん溜まっていくけれど、ここまできたら最後までちゃんと書きたいなと思うので、自己満足もいいところな自己満足で、ゆるくまとめたいと思います。ただ、記憶がどんどん上書きされちゃうのが大変ですね…(自業自得)

 

まずまず、第4話初っ端の「わたしの寝顔、見られちゃいましたかね…?」に心臓射抜かれました。このドラマは毎話「きゅんポイント」が盛り込まれているようで感謝申し上げたい次第です。それはかっこいいのもあれば、可愛いのもあって。結婚、しましょう、作り笑顔の練習のためのピースサイン、婚姻届のときのツーショット写真、そして今回。そのシーンを見ると、つよしさんファンであるわたしは ごちそうさまでした。(真顔)となるわけです。(?)

 

くだらない話はこれぐらいにして。

今回は「夢(悪夢)」と「救世主」がキーワードとなる回でした。青年と沙莉ちゃんが見た夢について、少し気になったので調べてみました。

まず青年は、「巨大ななめくじが地球を襲い、変身し巨大化して立ち向かった」というもの。夢占いで なめくじ というキーワードで調べてみると、

難解な課題を抱えたり、ストーカーのように不快な人物にまとわりつかれることを暗示しています。簡単に解決できる問題ではありませんので、うまく気分転換を図りながら、時間をかけて現実的で冷静な対応を心がけましょう。

 さらに、なめくじを殺す、となると、

難問を解決したり、人間関係が改善することを暗示しています。 

 ということらしいです。青年にとっての難解な課題、不快な人物とは。青年について考えると、難解な課題に当てはまるものが多く彼を取り巻いているように思うので、徐々に明らかにしていきたいなと思います。(逃げ)

 

そして沙莉ちゃん。「すっごい気持ち悪いモンスターに襲われる」というもの。モンスター で調べると、

・本能、欲望、漠然とした不安や恐怖などを表します。

・あなたの進路を遮る敵や障害を象徴しています。 

 モンスターに襲われる夢は、

・病気やトラブルなど、あなたの身辺に危険が迫っていることを暗示しています。

・何か得体の知れない強い不安かや恐れにおびえているのかもしれません。それを解決するためには、まず正体を突き止め、正面から立ち向かう必要があるでしょう。

 なんとも言えない気持ちになりました…。身辺に危険が迫る、って…。沙莉ちゃんは普段も頻繁に夢を見るとは言っていないので、近々、ということの暗示なのですか?野島先生!

 

そして冒頭から何度も使われていた「救世主」という言葉。「救世主よ。あなたはわたしたち親子にとって。」「救世主。それがわたしから君へと変わったということだろう。」

「救世主」というワードも調べずにはいられない。ということで。

1.キリスト教で、イエス=キリストのこと。救い主。

2.人類の救い主。メシア。

3.苦しい状態に置かれている会社・団体などを救うはたらきをした人。

てっきり3番目の意味が一番最初に書いてあると思ったら。とても哲学的な意味が書かれていることに驚きです。前回の第3話の考察 (「プラトニック」第3話・娘の初恋についての考察2 - nagico_72's diary)でも、半ば強引ですが哲学者たちが登場させたので、プラトニックを語る上で、哲学を考えるのは必要不可欠な要素ということですね。む、難しい…。

 

イエス=キリストといえば。Twitterを見ていたら、第4話のラストの屋根裏部屋でのシーンが「マグダラのマリア」と重なる部分が多い、というとても興味深い考察が流れてきました。わたしにとっては「なんのこっちゃ?」のお話だったので、気づいた方は本当に鋭い観察力だなあ…とただただ感心するばかりでしたが…。

少し調べてみると、キリスト教の「新約聖書」の中の登場人物として「マグダラのマリア」は登場し、イエスの死と復活を見届ける証人、とあります。死と復活…。第6話のラストで、青年についての衝撃の事実がわかった今、もうどんな結末になっても驚かないぞ!という気持ちもあったりしますが(笑)、また複雑になってきますね…。面白い…。堂本剛という人に興味を持っていなければ、きっとこのドラマを観ることはなかったと思うので、毎週毎週、(ない)頭をフル回転させながら考えて、考えて、たくさんの感情を抱きながら、こんな素敵な作品に触れていることが不思議でもあり、いろいろな偶然に導かれてこの文章を書いていると思うと…。なんだかわたしまで悟りが開けそうなところまできていますね(笑)

臼井さんが沙良の家に来て話をする場面で、彼は「聖母様のように見えます」と沙良のことを言っている台詞があるのですが、これもマグダラのマリアの伏線…?などと考えたり。沙良たちと青年の関係性を、彼自身「契約」と表現するのも、「新約聖書」がイエスを通じてなされた神との「新しい契約」であることとも関係が…?などと考えたり。

 

そして様々に散りばめられた要素が結集された、この第4話の山場である最後の屋根裏部屋のシーン。ここで沙良と倉田先生との間にある秘密について暴かれるわけですが、この第4話まで倉田先生の裏の部分が出てこなかったので、きっとすごいことが隠されているだろうと思ったら…!

青年に関して言えば、彼の鋭い洞察力をもってすれば、彼らの関係性はなんとなくでも感づいていたような気がしています。それがひょんなことから当事者の口から語られ、真実であることが判明する。故の「ちきしょう」。その真実が信じたくないものであればあるほど、聞きたくなかった、知りたくなかった、と思うのが人間です。自分でその扉を開くともなしに、明かされた事実。

でもそれを誘発したのが自分であったら…。この第4話で青年は、話しかける様や態度から、沙良との距離を縮めようとしているのを感じましたが、沙良は青年と美和の関係性を疑って、まるで恋をした「少女」のように、彼に振舞う。ツンケンとしてみたり、視線を合わせることを拒んだり、とげとげしい態度。そんな彼女に真実を語るきっかけを与えたのが、直前の自分の態度や言動、振舞いだとしたら。扉を開いたのが自分なら、自らを疎ましく思うでしょう。触れたくないものに否が応でも触れてしまったのだから。

沙良に対して見損なった、という気持ちだろうと初見では思いましたが、回数を重ねるとそればかりではないと感じました。このひとことにはたくさんの意味が含まれているのだろうなあ。

 

「すべての女性を敵に回すかもしれない 」と、主演の中山美穂さんが語っていたのを思い出しました。女を捨て母親として生きてきた、と自らに言い聞かせ過ごしてきたのに、実際は捨てたはずの女の部分を、無意識か意識的か利用していた…。「母親だから」という言葉で片付けてしまえるものなのか、わたしにはよく分かりません。女性として生まれてきた以上、母親だろうがなんだろうが、女の部分とは切っても切れない関係にあるように思います。うまくまとまっていない状態で綴ってしまうと批判のようにもなってしまって、すごく下手くそだな、と自分で感じています。が、無意識でも意識的でも、怖い、と感じたという感想がわたしの中ではしっくりきます。どちらにしろ、「魔力」を持つのが沙良なんだ、と。

 

うーん、様々に散りばめられている要素たちに、もっと敏感に感じ取れるようになりたい。【求】理解力。そして感じ取ったことをうまく言葉として表現したい。【求】語彙力及び文章力。最終回に向けてそれぞれがパズルのようにはまっていくことを思うと、本当に素晴らしく作られた物語だなあ、と思います。